家族の肖像(空手バカボン)
2001年9月16日メシ、つーか、食卓。
ヒトが生きていくうえで避けられないシーン。
俺は、独りだと映画館も入れないし
カフェもファミレスもラーメン屋も嫌。
どことなく吹き抜けるサムい雰囲気が苦手なのだ。
しかも、それとは別に
特にメシ屋に入ったトキは
誰か(又は複数人)を同伴していたとしても
必ず守るべきルールが存在する。
それは
「食卓の上を皿で埋め尽くす」こと。
テーブルに並べられた大量の料理、
という光景に安心感を抱くのだ。
一見、人数に見合ってないほどの量でも
時間を掛けて完食する。
これは実は、数年前に出会い
現在でもつきあいのある
ある男に感銘を受けた結果だ。
彼は昔の職場の同期であり、
酒もそこそこイケるナイスガイなのだが、
飲みに行くと必ずといってもいいほど
ある同じ光景に遭遇した。
彼は、常に人数分より多くの料理を注文し、
俺や他の友人らを驚かせていたのだ。
結果的に、彼と飲みに行ったときは
大抵の場合、最後に大量の食べ物が残り
俺たちのワリカン額は上昇した。
何度かその光景を目にした後、
俺は彼に聞いてみた。
「何故、そんなに注文するんだ?」
彼は、6人兄弟の大家族の長男であり
彼の家族はとても仲が良い。
彼の実家の食卓は
兄弟を満足させるためだけではなく、
常に大量の料理が並べられていたのだという。
それは彼の父が
「メシが貧しいと、ココロが貧しくなる」という
考えの持ち主であったことが理由だという。
この考えは、当時から自炊派であった
俺の食に関する考え方を豹変させた。
それまでは、質より量であった俺の食生活は
その瞬間を境に、確実に逆転。
短絡&逆説的に
「イイものを喰ってないと、イイ奴にはなれん」
と理解したのだ。
実際、美味いものを喰ってないヤツに
美味い料理は作れない。これは断言できる。
己が満足するだけの料理なんて
言ってみりゃエゴのかたまり。
ドロドロしたエゴをキレイにデコレートしても
誰も美味しく食べてくれない。
そう、
これはメシに限った問題ではなく
人間としての思想なのだ。…深いぜ。
その第一歩として、
とりあえず俺は
沢山の種類の料理を注文し
それを腹に収める。
さまざまな味を理解しないと
本当に美味いものを理解することができない
と思うからだ。
偏った味の料理を食い続けていると
偏った人間になる。これは真理だ。
テーブルの上に並べられたさまざまな料理を見て
俺は思う。
「つまり、これは人生のようなものだ。」
俺は、どんな料理だって味わってやるぜ。
いつか最高に美味い料理を味わうために。
そして、その料理を自分で作り出すためにな。
と。
ヒトが生きていくうえで避けられないシーン。
俺は、独りだと映画館も入れないし
カフェもファミレスもラーメン屋も嫌。
どことなく吹き抜けるサムい雰囲気が苦手なのだ。
しかも、それとは別に
特にメシ屋に入ったトキは
誰か(又は複数人)を同伴していたとしても
必ず守るべきルールが存在する。
それは
「食卓の上を皿で埋め尽くす」こと。
テーブルに並べられた大量の料理、
という光景に安心感を抱くのだ。
一見、人数に見合ってないほどの量でも
時間を掛けて完食する。
これは実は、数年前に出会い
現在でもつきあいのある
ある男に感銘を受けた結果だ。
彼は昔の職場の同期であり、
酒もそこそこイケるナイスガイなのだが、
飲みに行くと必ずといってもいいほど
ある同じ光景に遭遇した。
彼は、常に人数分より多くの料理を注文し、
俺や他の友人らを驚かせていたのだ。
結果的に、彼と飲みに行ったときは
大抵の場合、最後に大量の食べ物が残り
俺たちのワリカン額は上昇した。
何度かその光景を目にした後、
俺は彼に聞いてみた。
「何故、そんなに注文するんだ?」
彼は、6人兄弟の大家族の長男であり
彼の家族はとても仲が良い。
彼の実家の食卓は
兄弟を満足させるためだけではなく、
常に大量の料理が並べられていたのだという。
それは彼の父が
「メシが貧しいと、ココロが貧しくなる」という
考えの持ち主であったことが理由だという。
この考えは、当時から自炊派であった
俺の食に関する考え方を豹変させた。
それまでは、質より量であった俺の食生活は
その瞬間を境に、確実に逆転。
短絡&逆説的に
「イイものを喰ってないと、イイ奴にはなれん」
と理解したのだ。
実際、美味いものを喰ってないヤツに
美味い料理は作れない。これは断言できる。
己が満足するだけの料理なんて
言ってみりゃエゴのかたまり。
ドロドロしたエゴをキレイにデコレートしても
誰も美味しく食べてくれない。
そう、
これはメシに限った問題ではなく
人間としての思想なのだ。…深いぜ。
その第一歩として、
とりあえず俺は
沢山の種類の料理を注文し
それを腹に収める。
さまざまな味を理解しないと
本当に美味いものを理解することができない
と思うからだ。
偏った味の料理を食い続けていると
偏った人間になる。これは真理だ。
テーブルの上に並べられたさまざまな料理を見て
俺は思う。
「つまり、これは人生のようなものだ。」
俺は、どんな料理だって味わってやるぜ。
いつか最高に美味い料理を味わうために。
そして、その料理を自分で作り出すためにな。
と。
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